Now Loading...

production

【第1回/全16回 文字数:1913字】

『ファースト・マン』の素顔

line

ジェイムズ・R・ハンセン原作の「ファースト・マン ニール・アームストロングの人生」をもとに、本作では世界的英雄となったアームストロングについてとこれまで語られることのなかった歴史的瞬間に深く切り込んでいる。ハンセンはオハイオ州で科学技術史の博士号を取得し、20年以上にわたり宇宙史についての教育や執筆に携わった後、初の伝記の執筆を決意し2000年にアームストロングに連絡を取る。しかし、自身の人生を語ることに興味がなく、インタビューにも滅多に応じないアームストロングは、2カ月後にハンセンの申し出を辞退した。

アームストロングからようやく許可が下りたのは、最初のオファーから約2 年後のことだった。「幸いなことに、ニールの家族が乗り気で、シンシナティ郊外のニールの自宅に招待され、彼の書斎で何時間も伝記についての話をした。感触は良かったが、それでもニールから許可されたのはしばらく経ってからだった。彼はコックピットで瞬時に決断を下せる宇宙飛行士だが、私生活においては非常に慎重なんだ」とハンセンは振り返り、アームストロングの二面性に惹かれたと語る。
ハンセンにはそれまで何百ものインタビューを行った経歴があり、その実績がアームストロングの信頼を勝ち得る上で大きなポイントとなった。「ニールと仕事をするために重要なのは、彼の信頼を得ることだった。私たちにはいくつか共通点があった。ニールはオハイオ州育ち、私はインディアナ州育ちで、私たちの両親はどちらも農場育ちだから、同じ方言を話す。私たちが知っているニール・アームストロングは歴史的な象徴としての1次元の顔だが、彼も皆と同じ、血が通った3次元の人間なんだ」とハンセンは言う。

多くのインタビュー映像や写真で知られる人物をただ紹介するのではなく、アームストロングを駆り立てた動機や彼の家族、NASAの同僚たちの物語を掘り下げて語ることが重要だった。製作総指揮のアダム・メリムズは言う。「これはニールや彼の仲間にとっていかに困難で危険なミッションだったかを描いた作品だ。ニールは朝鮮戦争中に飛行士として従事した後、空軍のテストパイロットとなり、最終的にNASAのテストパイロットとなった。当時は驚くべき頻度でテストパイロットが死亡していて、彼の人生の初期においても多くの仲間が事故死している。それでも彼は自分が選んだ道を進み、不可能と言われたミッションを見事に成し遂げる」

アームストロングは本作の共同製作も務めるハンセンとの絆を深め、映画化も承諾した。「ニールとジェイムズ・ハンセンは素晴らしい友情を築いていた。だから、映画化も快諾してくれたよ。ジェイムズの原作に沿って映画を作るのであれば問題ないと考えてくれたようだ」と製作のウィク・ゴッドフリーは語る。
プライベートを語らないことで知られているアームストロングだが、製作陣との面会後に正式に映画化を許可した。2012年8月25日にアームストロングはこの世を去るが、その前に本人に会えたのは幸運だったとゴッドフリーは言う。彼の祝福無しに映画化を進めることはあり得ない選択だったからだ。「ニールに会えたのはこの上ない喜びだった。彼は映画化に対して非常にオープンだった。そうでなければ、この作品はこの世に存在していない」

製作のマーティ・ボーウェンも次のように振り返る。「ニールが賞を授与される前日、ロサンゼルスのジョナサン・クラブで彼と2番目の妻と会った。ニールと握手をすると、握力が強くて驚いたよ。彼はいまだに当時の経験の詳細まで鮮明に覚えていた。ニールは複雑で難解な宇宙計画の話の中に、皮肉たっぷりの愉快なユーモアを見事に交えて場を盛り上げる。素晴らしい人物だったよ」。ボーウェンもアームストロングの二面性に興味を感じたと言う。

公の場に姿を見せず、ひっそりとした暮らしを好むことで有名だったアームストロングも家族や親しい知人には世間のイメージとは違う顔を見せていた。息子のマーク・アームストロングは、本作で父親の真の姿を知って欲しいと望んでいると言う。「父がとてつもなく困難な状況に直面した人物であったことを知ってもらいたいんだ。多くを要求される中、父は正しいことをしようとベストを尽くした。それぞれの状況を見極め、最善の道を見つけることが父の信念だった」

「父はごく普通の男だった」と、ニールの長男でマークの兄であるリック・アームストロングは付け加える。「ニュースでしか父を見たことがない人は知らないだろうが、すごく面白い人で、友人と一緒にいる父は、世間のイメージとはまるで別人だったんだ。本作を通してそういった点を知ってもらえると嬉しい」